毎年恒例プレゼント企画

日本実業団珍道中レポート&プレゼント当選者発表

原チャリーズ・エンジェル・フルスロットル
一人ミニミニ大作戦
2003/12/10

さて、どうやって沖縄に行こう?と考えるまもなく出発の前日を迎えてしまいました。手元にあるのは仙台大会に使ったダックス。1年ほど動かしてない、動くかな?とカギを探したら見つからない?予備キーを探してエンジンを掛けてみる。掛かった。

まずは試運転と隣村の友人がやっているガソリンスタンドへ、ちゃんと動くじゃんと思ったら途中でエンスト?エンジンをかけようとキックするとパン、パンと大きな奇音?そこからエンジン掛からなくなってしまった。しまった工具もなにも持ってない。とりあえず押していくことにした。それがそれが、近い近いと思っていたら思っていたよりずいぶん遠い。このまま押していくと日が暮れる。エンジンが冷めてきたので触ってみる。あれプラグが外れてる?手で締めてもう一度キック、やっぱり掛からない?結局蒸し暑い中1時間ほどバイクを押してスタンドへ、汗が瀧のように流れる。まさかこれで沖縄目指してないよね。と笑われながら、工具を借りてとりあえずプラグを交換と思ったらプラグが入っていかない?どうやらネジ山がぐちゃぐちゃのようだ。プラグで少しずつネジを切りながらプラグを納めた。さてエンジンをかけようとキック、掛かったと思ったらプラグの根本から排ガスが吹き出している。もう一度はめ直し、こんどは上手く行った排ガスも吹き出てない。オイル交換をして、帰るとすっかり真っ暗。つかれた出発準備は明日にして寝ることにした。

朝起きてプレゼントの募集の案内を書いた。今年も原付で行きます。ダックスに荷物キャリーを付ける。荷造りをしてダックスに乗せた。予備のガソリンタンクは置いていくことにした。昼には出発したいと思っていたが仕事が収まらず、また取引先の人の訪問もあり結局出発したのは夕方。一宮を7月30日水曜日午後6時出発、鹿児島発沖縄行きのフェリーは金曜日の午後6時出航予定だ。ちょうど時間は48時間。はたして無事鹿児島につくのでしょうか?

県道をつかい大垣まで、そこからはR21号、そして米原からR8号へ、志賀、京都を通ってR1号線で大阪へ、ダックスは時速45キロで走行。大阪堺市に深夜12時すぎに到着。大阪まで6時間か、思っていたより時間が掛かった。

友人の渡邊さん(以下わたこおさん)宅へおじゃま。お風呂に出かけ、部屋に帰ってルートを相談。実はまだどの道を通るかを決めてない。仙台行きもそうだったが、今回も一宮から鹿児島までまっすぐ線を引くと途中に四国がある。という訳で四国経由に決定。そういえば、仙台の時もこの方法で軽井沢を通って痛い思いをした。まあいいか、これで決定。四国を真横に横断し、九州を縦に縦断し鹿児島港に、後はフェリーで沖縄へというルートだ。ところで困ったことが1つ、ダックスは原付なので明石大橋も鳴戸大橋も瀬戸大橋も高速道路のため通行できない。とりあえず神戸から高松までフェリーに乗せることにした。


神戸港 遠くに神戸タワー

翌朝6時に堺を出発。神戸港までは朝の渋滞にはまり、さらにエンジンが噴けない。ゴボゴボとエンジンが鳴る、なんだか調子が悪いぞダックス。やっとの思いで神戸港について時計をみると8時半、わずか45キロの距離を走るのに2時間半もかかってしまった。ポートアイランドが見える。そう言えば4年前はうちのスタッフがあそこまで自転車で行って大会に出た。フェリーの時刻表をみると次の便は10時半発、疲れた、2時間の待ち時間は放心状態。出航時間になり搭乗手続きをして船にバイクを乗せようとキックしたがエンジンが掛からない?しょうがないので歩いて押してバイクを船に乗せた。修理をと思ったが車両甲板に人がいることは出来ないので客室に上がる。フェリーは約4時間、午後2時過ぎに高松港到着。

車両甲板に降りてエンジンをかけてみる、やはり掛からない。バイクを歩いて押しながら四国へ上陸。フェリー乗り場の前で再びチャレンジ、エンジンは掛かるのだがスロットルを開けていくとエンストする。日差しが痛いぐらいに指す。今年初めて夏を感じた瞬間だ。暑い、日陰まで押して全ての荷物を下ろし工具を出した。プラグを外すと難儀なことになりそうだなと思いながら外す。持っていた予備のプラグが収まらない、元のネジ山を壊してしまったようだ。プラグの収まる角度が解らぬまま何度かやっているうちになんとかプラグは収まった。エンジン掛かるのだろうか?実は四国に寄ったのにはもう一つ理由があった。途中で故障することは分かり切っていたことなので、もしもの為に予備のバイクを高松で借りられるようにしてあった。バイクは250ccこれに乗り換えれば後は楽勝だ。エンジン掛かるな!ここで壊れてくれと、願い半分でキックをした。次の瞬間エンジンは景気よく吹き上がった。なんということだろう治ってしまった。とりあえずフェリー埠頭を試運転、動くぞダックス。工具をしまい荷物を積み直しフェリー埠頭から出発。時間は3時半。まだ高松、鹿児島港までに残された時間はこの時点で27時間を切っていた。やっぱりバイク交換かと後ろ髪を引かれながら走る。いや、このままダックスで行ってやる。思い直してスロットルを開けた。

日差しがとても強い、松山までは11号線150キロほどある、日暮れまでにつきたい。そういえば朝5過ぎに起きてパンを食べただけだ。でも食欲がないコンビニに寄りパンを押し込んだ。
ご存じダックスは30年以上の古い原付。3年前に仙台大会に出るため、バラバラだったものを組み立てたものだ。仙台行きの時は時速30キロほどしかスピードが出なかったが、中古のマフラーを探して付けたり、いくつかの故障を直し、現在は45キロほどスピードが出るようになった。それでも坂道でスパーカブに軽々抜かれる。同じエンジンのはずなのにどうしてだろう?そして振動がひどい。手がしびれてきた。

結局日が暮れた頃に松山に、8時ぐらいだろうか?実は時計を持ってこなかった。もちろん今回も地図を持ってない。給油をして佐多岬までの道を聞いた。「今から原付でですか?4時間以上は掛かりますよ。松山はもう観光されたんですか?」こんどはゆっくり松山に来て下さい。くれぐれもお気を付けて。そう送り出してくれた。次に来るときは道後温泉にゆっくりつかりたいものだ。そう思いながら33号線を大洲市に向かう。10時半ごろ大洲市に、今夜のうちに九州に渡りたい、スタンドで地図を借りてフェリーの電話番号を調べて時間を聞く、ここからフェリー乗り場までは2時間ぐらいかかるらしい。時間を計算して無理だと判断した。今日は大洲に泊まろう。

近くのホテルに入った。翌朝の三崎からのフェリーは7時半出航。目覚ましを4時にセット。5時には走り出していたい。


佐田岬メロディーラインの朝日

目覚ましが鳴る、しばらく起きあがれない、部屋を出てチャックアウト、バイクに荷物をつむ、ホテルの隣のコンビニでパンとお茶を買い、パンを押し込んだ。ロンTの上にTシャツを重ね着したが、それでも少し肌寒い。コンビニで買ったカッパを上から羽織った。5時ちょっと前に出発。あたりはまだ真っ暗。港を越えて佐多岬に入る頃じょじょに明るくなってきた。佐多岬を走行、眺めは最高。エンジンも今日は調子よい。バックミラーに朝日が昇ってきた。大きな風力発電がいくつもたっている。6時半に佐多岬の三崎港に到着。出航までには1時間ほど早くついた。


高知市から走っている197線
三崎港は197号線の197キロ地点

搭乗手続きをしてバイクを止めると隣に大きなアメリカンバイク。ナンバーを見ると尾張小牧ナンバー。「尾張小牧はどちらからですか?」と聞いた。もちろん尾張小牧の中のどこかという意味だ。すると「尾張小牧というのは愛知県て言う県になります。」と答えてくれた。どうやら原付で来た地元の人だと思われたらしい。そしてしばらくしてダックスのナンバーを見て驚いた。「愛知からこれで来たんですか?」かなり驚いて聞いた。恥ずかしながらそうです。


関サバならぬ関潜水艦

バイクを船に乗せてしばらくして出航、客室に上がって壁に貼ってある九州の地図を見ながら時間を考える。三崎から佐賀関港まではフェリーで1時間10分ほど、四国の大きくはみ出た感じのが佐多岬だここから九州までの狭い海峡で取れるサバやアジを関サバ関アジというらしい。つまり高級食材の上を通って九州にわたるということなのだ。しばらくすると甲板が騒がしい、外を見るとフェリーの横に潜水艦が浮上してきた。さすがにこんな近くで潜水艦を見るのは初めて、きっと関潜水艦といって高級潜水艦に違いない。身が締まって鉄のように堅そうだ。

港に着いたら海岸線を走る217線をそして10号線に乗り換えれば宮崎を越えてそのまま鹿児島港までひたすら10号線だ。距離は340キロほどだろうか?9時少し前に出発できたとして5時までには鹿児島港に着いていたい。残された時間は約8時間。時速45キロぐらいでしか走れない原付で8時間300キロ以上。少し無謀か?、ほんのちょっぴり無謀のような気がする。

港に着き走り出した。あと8時間、走るしかない。一人8時間耐久レースだ。エンジンは調子がよいようだが、登りがとにかく走らない登板斜線は2速で時速20キロで走行。そして下りは65キロぐらいで転げ落ちる。ガスをいれるためにスタンドによる「ここから鹿児島まで走ったら、どれぐらい掛かるんですか?」と聞いてみた。「そうだね、宮崎まで5時間ぐらい、そこから鹿児島までは3時間ぐらい掛かるかな。これで行くのか?6時のフェリーか?ギリギリだな。」そう教えてくれた。

止まるのは給油のみ、後はひたすら走るガソリンタンクは2リットル、燃費はリッター60キロほど90キロぐらいを目安で給油する。またスタンドに寄った山の奥のスタンドだ。おばあちゃんが一人で店番をしていた。「どこまで行くの?」鹿児島に6時迄に行きたい。「ここから宮崎まで4時間ぐらい、あとは、ん、大丈夫あんたなら必ずいけるよ。気を付けて行きな」そう笑った。ここから先、人と会話するのはスタンドの人のみ、まだ鹿児島までは気が遠くなるほど遠い、まず午後2時までに宮崎を一つの目標に走る。国道には宮崎までの距離の案内が出る。時間は学校やスタンドの壁の時計を走りながら横目で見る。時間と距離はほぼ計算通りに進んでいる。とにかくこの国道10号線をいけば鹿児島港までいける。エンジンは坂道でうなりを上げる、蝉が鳴いているのか?エンジンの音なのか聞き分けできないときがある。でもエンジン音とは明らかに違う鳴き声がかすかに聞こえる。やはり周りでたくさんの蝉が鳴いているようだ。蝉も仲間と勘違いしているかもしれない。ずいぶんうるさい鉄の蝉を歓迎してくれているのだろうか?競って鳴いているようだ。

気温はいったい何度あるのだろう。おそらく体温より高い。汗が出ない、出ているのだと思うが、乾燥していく。まるでドライヤーで乾かされているようだ。水分補給をしなければいけない。そう思っているのだがコンビニを素通りする。スタンド以外に止まることは出来ない。日焼けが痛い。後でとんでもないことになりそうだと思いながら走る。

国道の案内版が宮崎まであと50キロほどになった。もう案内には都城の距離も出るようになった。まてよ、このペースだと2時前に宮崎に着くかもしれない。少し余裕が出来たとおもったのもつかの間、宮崎市街地の渋滞がそれを帳消しにした。

宮崎市内を2時頃抜けて、鹿児島まであと3時間、何事もなければ5時頃港で搭乗手続きが出来る。車両のフェリー手続きは1時間前ぐらいが常識だ。そしてバイクは一番はじめに船に乗せるのが多い、急ごう。しばらく走って気がついたのだが国道の案内が10号線でなくなっている?どうやら道を間違えたようだ。ちょうどスタンドがあったので給油する。「10号線を見失ってしまったんですけど。」実は何キロか前に10号線は右に曲がっていたらしい。このスタンドの裏路地を行くと10号線とは違う国道に出られるらしい、それを走って行くと都城でまた再び10号線に当たるとのこと。「大丈夫10号線より早く行けるとおもうよ。」どうやら近道になるらしい。国道は都城へ、そこからは再び10号線へ、大きな雨雲が行く先に見える。今まで雨に降られていない。このまま雨無しツーリングかと思っていたら夕立にあいそうだ。降ったらそのまま濡れていこう。いや待てよ、違うぞ雨雲じゃない、どうやら桜島だ。

山道で道の駅へよる。鹿児島の大きな観光地図の前にダックスを止める。悩んでいるのはこのまま10号線を行くのか、桜島に向かい桜島フェリーで反対の沖縄行きの港に付けるかということだ。10号線は渋滞が起きる可能性がある。すると作業服姿のおじさんが声をかけてきた。「一宮、愛知県からきたのか?どこまで行くんだ」と聞いてきた。沖縄行きのフェリーに乗せたいが、桜島経由がいいか悩んでるといったら、10号線を行けと教えてくれた。道に迷ったら何にもならない。10号線はこの先混み合うがバイクなら渋滞を抜けられる。「6時の便か急がないと、でもきっと間に合う。フェリーは快適だぞ。俺もついこないだ沖縄まで行ってきたばかりだ。もう少しだがんばれ。」と見送ってくれた。10号線を行く、もう一息だと思っていたらエンジンがグズりだした。グッグッという感じでエンジンが息を詰まらせる。やっとの思いでスタンドに着く、プラグキャップが外れそうになっている。キャップを押してはめ直した。あとスタンドの人に頼んで針金をもらった。ナンバープレートのネジの片側が振動で飛んで無くなっていた。もらった針金でナンバーを固定した。

時間は4時を過ぎていた、まだ距離は40キロほどある。「急だほうがいいですよ。」とスタンドの人が言う。ところが、鹿児島まで28キロの案内がでてから国道は渋滞にはまった。ここから20キロ以上渋滞の車の横をすり抜けて行かなければならない。前のバイクが躊躇している、残された路肩はバイクのハンドル幅ギリギリだ。迷わず抜させてもらった、すると後ろからそのバイクも付いてきた、その先のバイクもすり抜けを躊躇している、悩んでいる暇はない、バイクはみんなダックスに付いておいで、左がだめなら右から、渋滞が何十キロ続こうとすり抜けて行かなければフェリーに乗れない。しばらく走ってミラーを見ると、あまりに強引だったのか何台か付いてきていたバイクはもう1台もいなくなっていた。またしばらく走ってトラブルが起きた。エンジンがまた息を詰まらせはじめた。グッグッと咳をして失速する、いかんプラグキャップが外れる。いかんこのまま走れなくなったらおわりだ。渋滞の中バイクを寄せて止めるスペースはない。右手はスロットルを開けている、ブレーキに添えてある右足を外して右足でプラグキャップを押さえる。後ろブレーキなど要らない。するとエンジンの咳が止まった。ラスト10キロ渋滞はまだ続く、すり抜けをしながら右足はエンジンのプラグキャップを押さえながら走る。足を外すとエンジンはすぐに咳をはじめる。しばらくすると渋滞が流れ出した。あと数キロで港だ。あとは全速力で走るだけだ。

左手に桜島が大きく見える。トンネルに入った路面が悪い振動でうまくプラグが押さえきれない。上手く押さえないとエンジンが止まりそうになる。いかん、止まる。暗いトンネルの中でエンジンが止まればテールランプも消える。危ういところでトンネルを抜けた。混んではいるが10号線はゆっくり流れはじめた。時間を見る、国道沿いの時計は5時15分ぐらいだった。まもなく港だ。

桜島フェリーの乗り場の案内がでているその向こうが沖縄行きのフェリー乗り場、もうすぐ着く、フェリーに乗ればあとは休める。帰りは名古屋行きのフェリーを予約してある。帰りは船。あともう少しで終わる。あとは楽しく過ごせばいい。今年でこのイベントも最後だ。思えば北海道をバイクで、仙台まではダックスで、千葉へはスバル360で、富士へは初代パッソルで往復した。なんど死ぬかと思ったこの実業団珍道中もあともう少しで終わる。そう思った。桜島フェリーへの入り口の交差点で、信号待ちで止まった。するとプスッとエンジンがとまってしまった。角にはガソリンスタンド、押してスタンドに入った。最後の給油をしよう。沖縄行きのフェリー埠頭はあとどれぐらいですか?すると「あと5分も走ればつきますよ」とスタンドの人が言った。しかしそのあと5分がとんでもない事態になる。給油が終わり、ずっと足で押さえてきたプラグキャップを手で押さえたカチッという音が鳴った。

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